『甲子園の石のはなし』
先日、福岡出張で飛行機に乗り、何気なく機内誌を読んでいました。その中の記事に『甲子園の石』というページが目に止まり読みました。
それは、1958年8月に甲子園に初出場した沖縄の首里高校のOBが書いたもので、当時の沖縄は終戦後まだアメリカの統治下で信じられないかもしれませんが外国でした。そのため、沖縄では通貨はドル、車は右側通行で本土の兵庫県に行くにはパスポートが必要だったのです。
そんな時代、甲子園で善戦虚しく敗戦した首里高校ナインは甲子園の土を袋いっぱい詰めて船で持ち帰ります。しかし、やっと帰った那覇港で悲劇が待ち受けていました。
それは、皆さん経験無いかもしれませんが、アメリカの沖縄に帰島する際は植物検疫があり、本土甲子園の土は全て没収になり、その場で海に捨てられてしまったのです。当然ナインは涙を流して悔しがりました。
その事を地元の新聞が取り上げて伝えたところそれを見た日本航空の乗務員が甲子園に赴き、石ならば沖縄に持っていけるとグラウンドの小石40個を拾い集め、首里高校ナインに届けたとの逸話でした。小石30個は部員に配られ、残った10個は今もモニュメントとして首里高校の校庭に飾られているそうです。
いま、練習前の校庭で石拾いをしているファイターズの子ども達を見ながら、今の戦争の無い平和な世の中のありがたさをしみじみ感じています。もう直ぐ8月は終戦記念日や長崎、広島の原爆の日を迎えます。今回は少し野球の話から外れますが、父兄の皆さんは是非この機会に子ども達と平和や戦争について話してみて欲しいと思う爺でした。かしこ。
FS 返信数:0 更新日:2024/8/7 5:14 / 投稿日:2024/8/7 5:14